05/02SAT
LAB
IT×農業で前代未聞の
いちごプロデュース!
故郷・山元町の特産品イチゴを
世界に羽ばたかせた人
宮城県の南部に位置する山元町。 人口1万2000人ほどの小さなこの町に、冬になると全国から多くの人が集まります。 お目当ては特産品の「イチゴ」。 栽培に適した気候と、職人が丹精込めてつくった山元町のイチゴは、甘くておいしいと県内外から高い評価を得ています。
そんな山元町のイチゴにイノベーションを起こした株式会社GRAの岩佐大輝(いわさ・ひろき)さん。 農業にAIやIoTなどの最先端技術を掛け合わせるアグリテックにより、イチゴにとって最適な環境をリアルタイムでつくり出すことに成功。
そうして生まれたのが、“食べる宝石”のキャッチコピーを持つ「ミガキイチゴ」。 1粒1000円もする超高級イチゴです。 2012年のリリースから瞬く間に認知度を上げ、いまとなっては、5万人以上の人がミガキイチゴを求め、国内外から山元町にあるGRAのイチゴ農場に足を運ぶようになりました。
岩佐さんの原点となった少年時代
岩佐さんがGRAを立ち上げたのは2011年7月。 東日本大震災の4ヶ月後のことでした。それまでは、東京でITエンジニアリング会社を20年ほど経営。 農業とは完全に異業種のフィールドです。その原点は、岩佐さんが小学生のときまでさかのぼります。
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岩佐さん:「子どもの頃からずっとパソコン少年だったんです。小学生くらいのときに中古のパソコンを買ってもらって、中学生になってからは新聞配達をして自分で30万円くらいのパソコンを買って。
趣味程度に人工知能のプログラムやゲームを作って雑誌に投稿していました。
ひとりの人間の力ではできないことでも、コンピューターを使うことでさらに高速に、かつ正確にできる“万能感”みたいなところに惹かれたんですよね」
その後も独学でITスキルを身につけ、フリーランスのエンジニアとしてキャリアを歩みはじめた岩佐さん。ITが急速に普及した世間の追い風もあり、大学在学中の2002年に法人化して一気に事業を加速します。岩佐さんが24歳のときでした。
東日本大震災で人生が激変
順調に会社を経営していた岩佐さんの人生を変えたのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災。 国内観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震により発生した大津波が、東日本を、そして山元町を襲いました。
山元町で生まれ育った岩佐さんは、いてもたってもいられなくなり故郷のボランティア活動に参加。 半年後、最終的に出した解は、農業生産法人の「GRA」を立ち上げることでした。
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岩佐さん:「復興させたい一心でボランティア活動を半年ほど続けました。でも、どうせやるなら自分のプロフェッショナルな領域で復興の一助になりたいと考えました。
これまでのゼロからイチをつくってきた経験を活かせるのは起業だろう、と」
そこで、山元町の特産品である「イチゴ」を事業としたGRAの立ち上げを決意。しかも、従来のイチゴ栽培にはなかった、テクノロジーを掛け合わせたアグリテックによる事業でした。
なぜ彼は、まったく経験のない農業にチャレンジしようとしたのでしょうか。
故郷の山元町に活気を取り戻したい!
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岩佐さん:「事業を起こすにあたり、山元町の人たちにアンケートを取りました。
7割ぐらいの人が『山元町の誇りはイチゴ』と答えたんです。イチゴを事業に掲げて成功すれば、震災で落ち込んでいるこの町が盛り上がる。
いちごは全世界で2兆円の市場規模があり、日本だけでも2千億円規模の大きな市場なので、思いっきり勝負できるなって」
それだけではありません。自身が得意としていたテクノロジーを掛け合わせれば、従来の農家が抱える“負”の部分も補うことができると考えたのです。
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岩佐さん:「イチゴ栽培の技術のほとんどは親から子へ、子から孫へ受け継がれます。
でも、もし子どもや孫が伝承しなければそこで途絶えてしまう。そこまで築き上げてきた技術はなくなってしまうんです。
そういった技術をテクノロジーの力で再現できるようにしないと、山元町が誇るイチゴがなくなってしまう。
そこで、職人の勘や経験に最先端のテクノロジーを掛け合わせることで形式化し、いつでも安定して上質なイチゴを生産しようと考えました」
職人×テクノロジー=世界レベルのイチゴ
おいしいイチゴを求めて全国から足を運ぶ人が多い山元町。 しかし、岩佐さんが見据えているのは、国内はもちろん、世界レベルのイチゴをつくることでした。
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岩佐さん:「アグリテックをするにあたって基準がひとつあって、どうせならグローバルレベルで通用する技術をつくろうと。
地方に住んでいると、できない理由を外部環境のせいにしてしまうんです。
たとえば、空港がないとか新幹線が走ってないとか高速が通ってないとか。でも実際はそうでなく、おもしろいモノがあったら世界中から人が集まってくるんです」
目標を定めた岩佐さんは、あらゆる研究機関や大学、有名な生産者、農業先進国であるオランダなどに足を運び、現代農業のあるべき姿をリサーチ。 最新システムを提供してくれる機関や施設を探しつつ、不足している技術を自身でつくり出してアグリテックによるイチゴ栽培をスタートしました。
そこから少しずつブラッシュアップを図り、最先端のテクノロジーを駆使したイチゴ栽培の環境をつくり上げていったのです。
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岩佐さん:「人間がやらなくてよくて、かつコンピューターが得意とすることはすべてコンピューターで管理しています。
挙げたらキリがありませんが、たとえばビニールハウス内の温度や湿度、CO2濃度などといった空気環境はすべてコンピューターで管理しています」
もちろん、テクノロジーの力だけで最高品質のイチゴがつくれるわけではありません。 熟練の職人による勘や経験が必要不可欠でした。
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岩佐さん:「テクノロジーの力はもちろんですが、職人の勘や経験も同じくらい重要なんです。
たとえば、教科書通りにイチゴをつくったとします。
それで、職人が『このイチゴ、なんか寒がってるな〜』などと感覚的なことをいうじゃないですか。
それで、実際にビニールハウス内の温度を1度上げたら、イチゴが本当においしくなるんです。
彼らの経験などをいかに融合させるかが、テクノロジー同様に重要なんです」
そうして完成した「ミガキイチゴ」。 甘いだけでも、すっぱいだけでもない、つきぬけた「甘すっぱさ」が特徴の極上のイチゴです。
テクノロジーで管理しているので、常にクオリティの高いイチゴが作れるだけでなく、従来のイチゴ栽培には難しいとされた技術の伝承も可能にしてしまったのです。
ノウハウをフルオープンにした理由
2015年からは、「新規就農支援事業」をスタート。 農業未経験の個人・法人を対象に、最先端技術を活用したビニールハウス建設からイチゴの全量買取までを一気通貫でサポートする事業です。 基本的には山元町で独立するまでがプログラムに含まれています。
クローズドな環境にすることで技術を囲い込み、競合を増やさない戦略もある一方で、すべてのノウハウをフルオープンにした狙いはなんだったのでしょうか。
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岩佐さん:「親株を植えて収穫を終えるまでに20ヶ月かかるので、我々だけで10年やっても10回も収穫できないんです。
なので、多くの仲間と一緒に取り組んでたくさんの情報を共有していかないと、爆発的な成長はできないな、と。
そもそも山元町を盛り上げる目的が根底にあるので、加速度的に成長し、早期にグローバルレベルで活躍しないといけない。
山元町で生まれたミガキイチゴが世界中に広がれば、この町に活気を取り戻せるだけでなく、誇りとプライドが生まれる。
その結果、さらに地域が強くなっていくと思うんですよね」
現在はミガキイチゴの栽培だけでなく、ミガキイチゴを使ったスイーツやお酒、コスメなどの商品も販売しているGRA。 さらに、イチゴスイーツ専門のカフェ「いちびこ」を8店舗も展開するなど、圧倒的なスピードで事業を拡大中です。
今後は各事業をさらに成長させるだけでなく、新たなテクノロジーを使ってアグリテックを加速していくことも考えているそう。
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岩佐さん:「いま考えているのは、イチゴの画像解析技術です。たとえば、イチゴの状態をある程度画像で自動的に解析し、状態に適した肥料をあげたり温度管理をしたり。
本来は形式化しづらいこういった部分も、人の目ではなくAIを使って管理できるようにしていきたいですね」
PROFILE
岩佐 大輝(いわさ・ひろき)
1977年宮城県生まれ。大学在学中の2002年に起業。その後、2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた故郷・山元町に活気を取り戻すため株式会社GRAを設立。熟練の職人の勘や経験にテクノロジーを掛け合わせたイチゴ栽培により、1粒1000円もする「ミガキイチゴ」を完成させる。イチゴの栽培だけでなく、イチゴを使った商品の販売やカフェも展開。また、新規就農支援事業も積極的に行い、これまで10組の卒業生を輩出している。
農業生産法人 株式会社GRA
Photo:蝦名恵一
Words:幸谷亮